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東京高等裁判所 昭和38年(ツ)35号 判決 1964年3月03日

上告人 控訴人・被告 高柳誠次

訴訟代理人 倉本英雄

被上告人 被控訴人・原告 株式会社常磐相互銀行 外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由第一点及び第四点について、

上告代理人は、第一、第二審の判決はともに民法第一一〇条の表見代理を適用して判断しているのに、基本の代理権についてはなにも認定判断していないから、法令適用の誤りがあると主張している。しかしながら、原審は左記のとおり認定判断しているのである。すなわち「上告人と高柳昇との間に右下駄屋営業に関し真実の代理関係のなかつたことは明らかである。しかし、前認定のとおり、上告人がその商号ならびに名義の使用を昇に許したうえ、その印章をも同人に交付して使用させていたことにより、上告人は、前記新鳥見町の東屋の営業主体は上告人であり、昇はその営業上の代理人であるという外観をつくり出していたとみるのが相当であり、このような場合には、上告人としては、右下駄屋営業における通常の取引につき昇に代理権を与えた旨を取引社会一般に対して表示したものとして、昇が右下駄屋営業の通常の取引に関して上告人の代理人としてした行為について、その責に任すべきものであり、昇の代理行為が通常の取引の範囲を越える場合においても、民法第一一〇条の要件のもとに、その責に任じなければならない。といわねばならない。」右判示に明らかなように、原審は、民法第一〇九条の表見代理を前提として、第一一〇条の表見代理の適用を認めているのであるから、民法第一〇九条の表見代理が第一一〇条の表見代理の場合の基本代理権となつているのである。

表見代理制度が取引の安全と善意の第三者保護にあることを考えれば、民法第一一〇条による表見代理の場合の基本の代理権が、本人から付与せられた場合と、民法第一〇九条によつて代理権ありと認められる場合とで、異別に解さなければならない根拠は認められない。従つて、原審は第一一〇条の適用について基本となる代理権限を認定しているのであり、またその点についての法令解釈を誤つたものでもなく、論旨は理由がない。

上告理由第二点について、

原判決は、被上告銀行の関係では、昇の代理権について上告人に確めたことについては積極的に認定していないし、被上告人小田部の関係では、上告人主張のように、同被上告人が上告人に代理権授与の事実の有無について問い合わせなかつたことは、原審の確定している事実である。

しかしながら、被上告銀行の関係では、昇が、被上告銀行に対して本件根抵当権の設定を申込んだ際、予て上告人から渡されていたその実印、印鑑証明書、本件建物の権利証を示して上告人の代理人であることを述べた旨、被上告銀行の調査掛をしていた訴外八木岡晃が、当時本件建物所在地におもむき、上告人の妻高柳千代に対し、抵当権の設定を受けるにつき目的物件を見に来たと告げて、物件の調査を行つたが、なんらの異議の申出を受けなかつたこと、その他、昇のやつていた下駄屋営業が上告人の名義になつており、また昇が上告人の女婿であることを認定している。被上告人小田部次郎の関係では、上告人の女婿である昇は印鑑証明書、本件建物の権利証及び予て渡されていた上告人の実印、を同被上告人のところに持つていつて、上告人から下駄屋の営業のことは一切任せられているといつたこと、また、その当時本件建物について被上告人銀行の昇に対する債権のため抵当権が設定されていたことを認定している。

右記のような事実が存在する場合には、被上告人両名がそれぞれ上告人に対し、昇に対する代理権の授与についてなにも認めなくとも、被上告人両名がそれぞれ昇に根抵当権または抵当権設定の代理権ありと信ずるについて過失がなかつたとした原判決の判断は、正当であるといわなければならない。上告人の引用する判例は、いずれも本事実に適切なものではないから、論旨は理由がない。

上告理由第三点について、

原判決の挙示している諸証拠によれば、原審の認定しているように、東屋という下駄屋の営業主体は上告人で、昇は上告人の代理人であり、また、上告人が原審の認定したような代理権を付与したと認められる事実の存することを十分認められる。従つて、原審は、上告人主張のような事実の誤認はなく、原審が、民法第一〇九条、第一一〇条を適用して上告人の請求を理由なしと判断したのは正当で、上告人の主張のように法令適用の誤りもなく、論旨は理由がない。

本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条によつてこれを棄却し、上告審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判長判事 村松俊夫 判事 杉山孝 判事 山本一郎)

上告理由書

第一点原判決は法令適用の誤りがある。第二審判決も第一審判決も、民法第一一〇条の表見代理を適用している。(二審判決理由の第三の一の末尾)。然し乍ら、基本代理権(真正代理権)の認定がない。真正基本代理権の認定がどこにもない以上、民法一一〇条は適用されないものである。

第二点原判決は判例違反がある。(一)被上告人銀行に対する関係では、代理権授与について上告人に確めなかつた事実を認定し乍ら、尚過失がないとしている(判決理由第三の二(1) 一)被上告人銀行は上告人の留守宅に行つているが、本人には会つていないのであるから、過失ありとすべきである。(二)被上告人小田部に対する関係でも同様である(判決理由第三の二(2) )。此の場合は留守宅にも行つていない。(三)被上告人銀行は金融を業として居り、被上告人小田部は高利貸を業として居り此のような場合は、代理権授与について、本人に直接確めるべきでありそれをしないのは過失があり、結局、正当事由なしとして民法一一〇条の適用をみないとするのが判例である。多くの判例があるが、(東京地裁昭和二九年(ワ)第八二一一号、昭和三七年二月二八日民事六部判決、最高裁昭和三二年(オ)八〇四号昭和三六、一二、一第二小法廷判決)等、東京地裁昭和三三(ワ)五一〇号、三七、一、一三、民事一八部判決・最高裁三五(オ)一一九九号、三六、一一、二六第三小法廷判決本件では昇は上告人の委任状も持つて居なかつたのに自称代理権ありとしていただけのものである。更に、上告人は、近所の者には「今後昇がやるから、宜しくお願いします」と述べて居り(第二審の上告人本人訊問)殊に被上告人小田部は当時すぐ近所に住んでいた(何れも新鳥見町)のであるから、右事情は当然分つていた筈である(上告人は遠く離れた元山町へ引越してしまつている)。亦本件は通常の取引営業以外のことである。このような場合、直接本人と確めないのは過失ありとすべきである。

第三点原判決は事実誤認があり、その結果法令適用の誤りを来している。原判決理由第三の一によると、結局営業主体は上告人であり、昇は営業上の代理人であるという外観を作つていたと認定しているが、然し上告人は「今後若い者即ち昇がやるから宜しく」と挨拶している(第二審の上告人訊問)し、住居も遠く離れているし本件の主債務者は何れも昇であり、その借金の使途も昇が営業資金として使用するものであり被上告人銀行からは、以前より昇が主債務者となつて信用借りでパール預金に基づく借金をして居り(銀行は営業を調査して貸すのである)従つて少く共、被上告人等に対しては、上告人が営業主でなく昇が営業主であることは自明のことであつた。依つて、被上告人等に対しては上告人が営業主で昇に代理権を与えておいた等の外観一般に対する表示等はないのである。被上告人等以外に対し右の如き外観を与えたこともなく、此の場合は単なる名板貸とみるべきものである。

以上の様なわけであるから昇の自称代理行為について通常取引内のことについて上告人が責めを負うことはない。殊に被上告人等に対しては、明らかに責任がない。

第四点原判決は法令適用解釈を誤つている。判決理由第三の一の末尾に於て、上告人は通常取引に於て昇に代理権を与えた旨社会一般に表示したから昇の代理人としての行為に責を有するとなし、民法一〇九条に該当する如く説明し其の場合にも民法一一〇条の適用があるとしているが、民法一〇九条の如き場合を前提とした場合には適用されないのである。従つて、民法一一〇条の解釈適用を誤つている。(大判大正二、五、一民録三〇三頁)以上の如くであるから、判決の主文は当然判決(原審)と逆になるべきものである。

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